―例えば。例えば、帰宅を告げるチャイムの音を無視して遊び続けたり、明日の約束をしてボロボロのランドセルを背負って帰ったり。喧嘩で怪我をした所に絆創膏を貼って、気まずい思いをしながら顔を合わせて仲直りをする。 例えば、誰がクラスで一番可愛いか話したり、誰が誰を好きで、何時告白して何時振られたとか付き合った、なんて話をして。 例えば、昨日は何があったとか明日何をしようだとか、つまらない事で悩んで下らない何かを考え続けていたり。小さな成功を手放しで喜んで、大きなミスに心底絶望する。どうしようもない無い現実に直面して、一人じゃどうしようも無いそれを誰かと乗り越えて、最後にその誰かと笑い合う。 例えば。例えば、例えば、たとえば。そんな下らない日常の、他愛ない毎日の、何時も通りで退屈な生活の、何処まで続くのかも分からない繰り返しで良かった。 例えば。例えば例えばたとえば、たとえばの、話、だけど。 「それで、結局お前は何が欲しかったんだ?」 優しく問う兄の言葉に、何も返せなかった。 「大体の想像はつくよ。お前の事だからね、平和とか優しさとか慈愛とか、大方そんなものだろう?何処にでもある独善に満ちた傲慢さから溢れる、煩雑に氾濫する偽善的な夢だな。純粋と言うよりは単純、短絡的だね。 …ん、ああ、別にお前が悪いと言ってる訳じゃないよ。そんな事を言い出したなら、一体この僕はどうなると言うんだ?この僕をして、他に誰を愚かと言わしめようか。何せ千年もの間をそんな下らない幻想に、馬鹿みたいな夢に、生涯を捧げたと言って過言ではないのだからね。言葉にすれば一瞬だけどね、潰れそうな程、砕けそうな程、死に焦がれる程には苦しかったよ。 僕と同じ経験をしろとは言わないさ。そんな事は言わない。決して言う事は出来ない。お前と僕は違う人間で、仮に僕達の最終的な目的を同一だと断じた場合においても、結局僕達は同じ道を通って到達する訳ではないからね。そもそもお前と僕じゃ根本が違うんだ、当然と言えば当然か。 まあ、結局お前が何を成して何を放棄しても構わないんだ。結局お前と僕はどうしても違う人間であるのだから、結局お前の事なんて、まずこの僕には理解出来やしないからね。ただ、それでも聞かせて欲しいんだよ。お前は確かに愚かだけど馬鹿じゃあない。僕は大抵の人間を過小評価する方だけどね、それでもお前の事は子孫として、或いは兄としての贔屓目無しに見ても、割合に高く評価してるつもりだよ。結局お前は何が欲しかったんだ?葉」 優しく問う兄の言葉に、何も返せなかった。 「はは、冷たいね、何か答えてくれても良いだろう?別に冷たい嘘でも下らない言葉でも何でも良い。好きな言葉を言ってごらん、考えてごらんよ。お前が願うなら霊視もしない。お前の思考はお前だけのものだ、僕は一切関知しないからさ。 そうは言っても実際の所、お前に僕が霊視をしているか否かの判断はつけようがないのだから、その点においては僕を信じてもらうしかないけどね。ああ、一応断っておこうか。お前が僕を信用せずともそれはお前の罪にはならないよ。お前からすれば、僕は、一片の言葉すら疑わしい程に信用ならない男だろう?当然だ、僕は僕の真意を誰に伝えるつもりもないのだからね。勿論お前にもね。 久し振りに霊視を抑えた。後はお前が僕の言葉を信じるか否か、それだけだ。ああ、別に信じるイコール話す、ではないから、結局の所僕のこれも無駄に終わる可能性もあるのかな。そう考えると、またたまらなく愉快な駆け引きじゃないか。なあお前はどう思う?って、お前が口を開いてくれない限り答えは聞けないのだけどね。 さて、些かに喋り疲れた。少しはお前も何か言ってくれると嬉しいのだけど。そろそろ口を開いて、先程のように、とは言わないけど、せめて何か言葉くらい発してくれる気になったかい?」 優しく問う兄の言葉に、何も返せなかった。 お前は、本当は何がしたいんだ。 心の中で小さく呟いてみる。優しく問うた表情のまま、兄は何のアクションも起こさなかった。それはつまり、この兄が、残虐非道を体現したかのようなこの兄が、自らの宣言通り本当に霊視をしていないという事実に他ならない。或いは今この思考をすら見通して、ただ何も聞こえていない振りをしているだけかもしれないけど。 言葉が空虚だと知っている。気付いている。それは、千年所か漸く二桁を生き始めたオイラよりも、この兄の方が余程知っている事実に違いない。というのに、何故今更に言葉を求めるのだろう。若干暇を弄び始めた兄が、適当に思い浮かんだのだろう言葉を炎で空中に書く。その赤に目を奪われていると、一際大きく、ゆめ、の文字が輝いている事に嫌でも気付いた。眉を顰めたら、優雅に微笑んで掻き消した。言ってごらん、と、言葉は無く口の動きだけで伝えられた。 優しく問う兄の言葉に、何も返せなかった。 「葉。お前の、どんな言葉でも残さず全て僕が受け止めてあげるから、恐れる事は無いよ、言ってごらん。何を怯えているの、葉、此処にお前を傷付ける何があるという訳でも無いのに。お前、もう気付いてるんだろ?言葉は空虚で曖昧なものだから、口にしないと、廃頽していくんだよ。そうしてお前は自分の夢すらも殺してしまう気かい?まさかね。なら、お前は今此処で僕に向かってその夢を宣言するべきだよ。でなければ、ねえ、それはお前の中で氷付けにされたまま決して溶ける事無く砕けてしまうよ。 お前は何が欲しいんだ、葉」 優しく問う兄の言葉に、何も返せなかった。 …嘘吐きめ、と、小さく毒吐く。お前の夢が誰よりも凍えている事を知っている。安っぽい言葉で嘘の上重ねを繰り返して、そうして本当の夢を心の底に隠しているお前が何を言うんだ。優しい声をしている、それが、他の何にも勝って残酷だと確認するまでも無い。 たったさっき、ゆめ、と燃えて凍えて消えた欠片を地面に見ながら、その透明な中身の無さに、兄を真似て小さく笑ってみせた。お前は何が欲しい、だって?自分だって本当は何も欲しくないくせによくもそんな言葉を口にしてみせたものだ。 再び、先程の兄のように口だけを動かして、嘘吐きめ、と伝える。 優しく問う弟の言葉に、何か返してみせろ。 「…本当に、良く成長したよ、お前は。流石は僕の子孫、僕の弟、そうでなくてね」 ぐしゃり、と氷付けの夢を踏み潰して、優しく問うていた兄が笑った。 オイラは何が欲しい、って?知らねえよ。 (200801029)氷付けの夢 |